来季より日本バスケットボールリーグ(JBL)に昇格するリンク栃木ブレックスが1日、記者会見を行い、前日付けで能代工業高校(秋田)の監督を退職した加藤三彦氏のヘッドコーチ就任を正式に発表した。契約期間は3年。加藤氏は、1990年に母校である能代工のバスケットボール部監督に就任。95年から98年にかけては、のちに日本人初のNBAプレーヤーとなる田臥勇太を擁して、3年連続で高校3冠(インターハイ、国体、ウインターカップ)を制するなど名将として知られる。
栃木ブレックスは、2006−07シーズンで解散した旧日本リーグ(現在のJBL2)の大塚商会から譲渡されたチームで、JBL(2部を含む)の中ではレラカムイ北海道に次いで発足したプロクラブ。JBLでは1部と2部の入れ替え戦はないが、JBL1部のオーエスジーフェニックス東三河が来季よりbjリーグへ転籍するため、JBLの審査を受けた上で昇格が承認された。今季はレギュラーシーズンではJBL2で3位だったものの、プレーオフを勝ち抜いて優勝を果たした。JBL昇格にあたりチーム名称にネーミングライツを導入し、この日からリンク栃木ブレックスと改称した。
<コメント>
4月は出会いの季節、そして新たな道に一歩踏み出す季節でもある。
バスケットの名門、能代工業の指導者だった加藤氏が他のチームの監督に就任するのではと言う話は、昨年暮れに行われたウィンターカップ終了後から噂になっていたが、プロのチームの指揮官として、かつて自身も籍を置いたリーグで挑戦する事になった。高校の指導者がいきなりプロの監督をやると言うのは、バスケットでは勿論の事、他のスポーツでも例がないのではないだろうか。プロと実業団の違いはあるが、バレーボール日立や全日本の監督を務めた山田氏が、確か似たような道を辿ったような気がするが・・・。(ちょっと古過ぎるか?)
渦中の加藤氏と言えば高校バスケブームの火付け役となった田臥勇太の指導者として有名である。上にも書いてあるが、田臥選手在籍時は高校3冠(インターハイ、国体、ウィンターカッブ)も成し遂げた。ちなみに小生が高校生の時、何度か能代工業に遠征に行った事があるが、その時は前任の加藤廣志先生の片腕としてベンチに座っていた。安定した道を断った経緯は分からないが、それよりもバスケットに情熱を注ぐ事に魅力を感じているのだろう。
JBLは、オーエスジーがbjリーグに移る事が決まっており、若手有望株の川村選手が移籍リストに載る等、選手の動きが例年以上に活発になる可能性がある。高校バスケットで一時代を築いた指揮官が、新規参入するチームをどのように染めて行くのか。その手腕に注目したい。
栃木ブレックスのサイト
http://www.tochigibrex.com/

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