「南海で活躍した田沢氏、急逝。71歳」
田沢氏とは、昭和30年代にプロ野球の南海(現在のソフトバンクホークス)で活躍した田沢芳夫と言う投手である。オールドファンならともかく、小生の世代(30代)で知っている人はいないだろう。もし知っていたら、なかりコアなホークスファンだと思う。かく言う小生も面識がある訳でもなく、何の縁もないのだが、父が田沢氏の小、中学校の時に所属していた野球部の1つ上の先輩だったと言う話しを聞かされた事があるのを思い出し、今回取り上げる次第である。
野球部の先輩だった田沢氏は小学生の時からとにかく球が速くて、中学生でも打てなかったそうだ。父曰く、「目の前でボールがホップするので恐くて捕球する事が出来なかった。」とか。
小生、小学生の時に地元の少年野球チームで野球をやっていて、夏休みに父の実家(山形県鶴岡市の加茂と言う小さな港町)に家族で遊びに行くと、野球をやっている事を知っている親戚の人が田沢氏の話をしてくれた事を覚えている。父の実家と田沢氏の実家も近所だったそうだ。
数年前に妻と子供を連れて父の実家に遊びに行ったが、当時田沢氏や父が通っていた中学校は既に廃校となり、校舎だけが残っていた。
ちなみに小生、中学、高校ではバスケットボール部だったのだが、高校卒業後、父の実家に遊びに行った時に、これまた親戚の人から近くの水産高校に昔、バスケットの上手い選手がいて、その水産高校がインターハイに出場した、と言う話を聞かされた事がある。後で調べると、日体大から日本鉱業(現在のジャパンエナジー)に進みミュンヘン、モントリオール五輪(主将)で活躍した阿部成章と言う選手だった。バスケットボールの男子日本代表は以後、オリンピックに出場出来ていない。
鶴岡の小さな港町から有名なスポーツ選手が輩出されている事、そして、今でこそ全国大会で勝てるようになり、プロ野球選手も増えてきているが、小生が学生だった頃、PL学園×東海大山形に象徴されるように、決して野球が強かった訳でもなく、プロ野球選手が多くいた訳でもない山形県と言う土地で、昭和30年代、田沢氏の他にも同じ南海出身の皆川氏(米沢市出身)や、高橋氏(後に新庄市長に転進。)など、日本のプロ野球の一時代を築いた選手がいたのは興味深い事である。
3氏とも既に他界しているが、有名になるとメジャーに行ってしまう今のプロ野球選手をどのような想いで、天国から見つめているのだろうか。
田沢氏の記事を見つけた翌日、父にその事を話すと初耳だったそうで、感慨深げに当時の思い出話をしてくれた。ちなみにスポーツ選手ではないが、Mr.Childrenのボーカル、桜井和寿の母親が我が父の中学、高校の同級生で同窓会でも何度か顔を会わせた事があるそうだ。

→身近に有名なスポーツ選手がいる又はいた、と言う方はクリックをお願いします。
早速、訪問させて頂きました。
やはりプロになる人は子供の頃からズバ抜けているんですね〜
ちなみに・・・
私の甥が日ハムのダルビッシュ投手と幼馴染みで、彼に誘われ少年野球チームに参加も あまりの力量差に 即ヤメした。と、言っておりました(笑)
トラックバック失敗しました
上記掲載分 削除お願いします。(≧≦)